朝倉文夫と三角寛
『野依秀市全集』第2巻(実業之世界社、昭和41年9月)中の「朝倉文夫の巻」に、朝倉文夫と三角寛が出てきた。 私が初めて会ったのは昭和二十年ごろ、大分県人会の会合の席だったと思う。(略) その後、「一夕君と飯を食いたいのだが ...

朝倉文夫 記念公園
朝倉文夫記念公園 看板だけは100回くらい見たことがありますが 行ったことがありませんでした。 ちょっと時間に余裕があったので 興味本位で行ってみました 朝倉文夫さんとは 竹田出身の彫刻家 で、大分では結構有名です。 ...

石松健男写真展 朝倉文夫の記録
谷中の朝倉彫塑館で11月5日まで開催中。 石松氏が1962年に撮影した朝倉文夫の記録。 展示方法が面白い! 朝倉文夫の気配を感じます。

「花の影」朝倉文夫(@目黒区民センター)
目黒区民センターで朝倉文夫の彫刻「花の影」を見つけた. 先日, 本郷新の「奏でる乙女」を見て ,野外彫刻も面白いなと感じた.いままで見過ごしていたが,よく見ると味わい深い.いいケツしてる. (11/3撮影)

「花の影」(2)朝倉文夫(@目黒区民センター)
新しい標準レンズを買った.目黒区美術館のそばにある朝倉文夫の「花の影」を撮影してみた. この彫刻,かっこいいんだよな. この彫刻の写真は以前にも記事にしている.( リンク )

朝倉文夫(あさくら ふみお、明治16年(1883年)3月1日~昭和39年(1964年)4月18日 )は、明治~昭和の彫刻家(彫塑家)。号は紅塐(こうそ)と称し、「東洋のロダン」とも称された。娘は舞台美術 舞台美術家・画家の朝倉摂(摂子)と、彫刻家の朝倉響子。
1883年(明治16年)、大分県大野郡 (大分県) 大野郡上井田村(現豊後大野市)村長であった渡辺要蔵の三男として生まれる。十一人兄弟の五番目の子であった文夫は1893年(明治26年)10歳の時に朝倉種彦(衆議院議員朝倉親為の弟にあたる)の養子となるが、入学した大分尋常中学校竹田分校(在学中に「竹田中学校」に独立。現大分県立竹田高等学校)を三度も落第し、いたたまれなくなった母キミにより、1902年(明治35年)当時既に東京で新進気鋭の彫刻家として既に活躍していた9歳年上の兄渡辺長男を頼って上京することになる。初め俳句を志しており、正岡子規に師事しようと願っていたが、奇しくも上京した当日、まさに9月20日が子規の通夜であった。
朝倉文夫の詳細